父が亡くなった時には「記録」として書きましたが、今回は箇条書きにしていた覚書をそのまま利用するので、常体の文で書きます。
母は整形外科で「膝関節症の末期です」と言われていて、痛さで少ししか歩けなくなっていた。その頃は週2回ほど、母のお風呂の介助に実家へ通っていた。
車いすを使いながらリハビリに通っていた2022年、秋に家族全員コロナに罹患。幸い症状はほぼなかったが、母はその年末に軽い脳梗塞を発症。軽さゆえに気づくのが遅くなった。言葉が出にくくなり、右半身が動かしにくくなったため、今までできていた少し歩くこともできなくなった。
年末にバタバタとケアマネと相談し、介護グッズや使えるサービスをお願いしていった。
そこまでは姉2がメインで母の世話をしていたが、さすがに無理になったので母が透析に行く朝は実家に通う日が始まった。
起こして座らせて、着替え、トイレに連れていって、食事の介助、はみがき、外出の準備まで。
送迎の車に母を預けたら家に帰り、自分の朝ご飯を食べて出勤。
休日はお昼にも実家へ行って透析から戻る母の迎え入れ、着替えに食事の介助、できればトイレの介助をして帰る。
お風呂さすがに素人介助では無理になったので、訪問入浴サービスを利用。体が動かせないなりにリハビリも必要になり、訪問リハビリも依頼。
最初はベッドから車いすに移す「移乗」も力任せにやって腰が痛くなったりしたものの、YouTubeを見て介助の方法を勉強し、楽にできるようになった。
母も右手が動かしにくいものの、お箸で軽いものは持ちあげられたし、少しずつ言葉も出るようになっていった。
その後、透析患者にはよくある、膝から下の動脈が詰まる症状に悩まされることに。
足が痛いとよく嘆くようになり、寝ていると血が通いにくくなるのか、座らせるとマシになるようだった。
その詰まりを通すカテーテルを通す手術をすることになった。それでもまた数か月後には詰まってしまうという話。
数日の入院で帰ってきたら、今まで普通に保てた座位が保てず、くにゃくにゃに。数日の入院でこんなに筋肉って落ちるんだ、と思った。また座位を保てるようになるのに、ずいぶん時間がかかった。
その後壊れてしまった入れ歯を作り直そうとしたら、上下で歯を8本ほど抜かなければならない状態で病院に通う。
透析で血液がサラサラになる薬を飲んでいるせいで、出血が止まらず、1時間ほど口に指を入れて止血し続けた。
2023年の夏には自力でベッドに座ろうとして柵をつかんで滑り落ち、指を骨折。しばらくの添え木生活。
循環器内科、整形外科、脳神経外科などよく病院へ車いすを押して検査に行った。
その後訪問看護師さんに来てもらうようにしてからは、誤嚥などちょっとしたことも相談ができてありがたかった。
トイレで転倒し、夜に救急車で病院へ行った時も相談できた。
心臓など他もたくさん病気を抱えていたので、透析の病院の先生からは「いつ何があるかわからない状態」ということは聞かされていた。
今年の春、近くに住む母の姉、伯母が入院したと聞き、母を見舞いに連れて行った。
伯母はずいぶん小さくなったように見えたが元気そうだった。伯母はもう私のことは分からないようだった。そばに連れていったが母は伯母の話を聞くだけで話そうとはしなかった。
次に「もう長くないかもしれない」と連絡をもらって行った時は1日ほぼ寝ている、という状態だった。
この夏は座っているとお尻が痛い、寝ると足が痛い、と次第にどんな姿勢をしても痛いと訴えるように。
ベッドのマットレスをいいものに変える、血行をよくする整体に通う、入院後は怖いがまたカテーテルで動脈を通す手術などの話を進めていた時だった。
いつも通り透析に送り出したある日、病院から連絡があった。
透析中に意識をなくして救急搬送されたと。
かけつけたのは父も亡くなった病院。
搬送中には心臓が止まっていたと。蘇生はしたが、おそらく1時間弱は止まっていただろうという話を聞いた。
ああ、もう母とは話せないのだと思った。覚悟をした。
でも病院とは同時に長く居続ける場合の話もするところだ。父は入院して一か月あった。
入院の準備をしていて、もう危ないかもしれないと叔父に連絡したら、前述の伯母が亡くなったと聞かされた。
治療。意識はもう戻らなくとも、透析をお願いした。帰宅後、血液検査の結果が良くないが、それでもやるかと確認の電話があった。
急変するかもしれない。それでもお願いした。
翌朝、状態が良くないと電話をもらった。
姉2とタクシーで駆け付けた。
血圧は弱く、そのうち脈拍が止まったり動いたりし始めた。透析のおかげか、むくんでいた顔がスッキリしていた。良かった。
父の時は間に合わなかったが、母は待っていてくれたのだと思った。
そのおかげでたっぷり時間が持てた。
午後には夜勤明けのダンナと仕事が終わった姉1も到着した。
父の時に経験している病院なので、この後の流れはわかっていた。
続きます。