
早朝に家に帰ってお風呂入って仮眠、とはいえ少しウトウトする程度。お昼前に葬儀会社さんが来て式場へ父を運んでくれるので、それに間に合うよう、また実家へ戻ります。
市役所に死亡届を出して火葬許可証をもらう作業は葬儀会社の方でやってくれました。義父の時はダンナがやったはず。
葬儀の代金の補助が出る市の書類をもらって、スライドショー用の写真とデータを渡して、お箸とご飯をお茶碗ごと持って来るよう言われました。そういえばこれ、割るところは見なかったな。
また2人がかりで外へ運んでくれました。これでうちにいるのは終わり。出る時にクラクションを鳴らすか鳴らさないかが選べました。また家に戻って夕方に式場へ行くまで寝ました。
夕方に式場へ向かいます。ベルコ、私が子供の頃は玉姫殿で、ここで結婚式やった人は微妙な気持ちだろうかと思います。
お部屋や祭壇を見ると、カタログで見て決めたよりもお花がいっぱい!なんか嬉しい。控え室も通夜泊まり用にお風呂・洗面・テレビやソファ、キッチンなどがあって快適です。冷蔵庫のドリンクはホテルと同じ課金式でした。
担当の人と打ち合わせで式の流れを確認。司会担当の方に「告別式のナレーションのために、お父様の人となりを教えてください」と言われ、聞かれるままに父の生まれや仕事、趣味、子供の頃の思い出などを話しました。
控え室で色紙のような厚紙の短冊に造花がついたものを渡されました。ここに最後のメッセージを書いてください、と。紙で包んであって内容は見えないようにできます。
病室で「退院したら家族旅行に行こう、どこにしよう」と話していたんです。それに行けなかったこと、写真持って連れていくからと書きました。姉2はリハビリや食べることについて厳しめに話して嘆かれたのが最後になったので、相当後悔が大きいようでした。それについて書いていたようです。言えないことを吐き出すにはいいのかもしれません。
通夜が始まる直前にお寺さんが来られたとの事で、そちらの控え室にご挨拶に。父がお寺によく御座候を持ってきてくれたんだとお坊さんが話してくれました。
ここで戒名のレベルも伝えます。葬儀プランの話の時に御布施や戒名の金額も聞かされていました。父は信心深かったので、御布施や仏壇などにかなりお金をかけていました。祖母の戒名も最上級だったんです。さすがにそこまでは無理……銀行の暗証番号全部わからんのに無理。「居士」だけつけさせてもらいました。おおう……。率直に「居士」の金額も教えてくれました。「院」付きならいくらだったの……。
明日の告別式は一番偉い導師さまが来てくださるとのこと。父が熱心だったからだろうなあ、「本人も喜んでると思います」とえぐえぐしながら言いました。
式場に戻ると、母方の叔父夫妻が来てくれていました。
スライドショーが「涙そうそう」とともに流れて、自分で選んだ写真だけど本当にいい出来でした。母と私がほぼ泣きっぱなし。
通夜が終わって、担当の方に御布施について詳しく聞きました。封筒も全部書いて準備してくれるそうです。本当にありがたい。お金はいったん姉2が出すことに。
明日は副葬品を持ってくるように言われました。父は碁をやっていたんですが、碁石は弾けるらしく、入れられないんですね。愛用してた折りたたみ碁盤も金属があるから難しそう。

家族で松花堂弁当を食べました。しばらく食欲がなかったけど、久々にしっかり食べた気がします。
明日の告別式はどうも雨のよう。その場合はダンナに車を出してもらう予定に決めて姉1を残して帰りました。
もう携帯にビクビクしなくていいんだなあと思っても、やっぱりあんまり眠れず。
続きます。
今はやっと何も考えずに寝ることができるようになりました。