2020年10月07日

「葬儀会社は決められていますか?」と聞かれました。

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看護師さんが体を清浄してくれるということで病室から出たところ、看護師長さんに「葬儀会社は決められていますか?」と聞かれました。
葬儀会社に連絡し、お迎えの時間を決めてください、ということでした。

一度、家に帰ることは決めていました。
病室の荷物も持って帰る必要があります。
家の部屋を片付けて寝かせる場所を作らないといけません。
白い着物で帰らせたくはなかったし、洗濯で着てきた服を持って帰っていたので、取りに行く必要もあります。

こういうとアレですが、姉達はこういう時にオロオロするだけで役に立ちません。そして2人は折り合いが悪いです。転職し、ディレクションをする仕事が増えましたが、家族にやることを割り振りして指示出しすることになるとは思いませんでした。
姉1に服を取りに帰るよう指示、荷物と足の悪い母を乗せるため、ダンナにカーシェアの車で来てもらうよう依頼、その間に荷物まとめです。私は義父の葬儀を準備から最後まで見てきたし、ある程度やることはわかります。

祖母が互助会にお金を入れていたけど、祖母の葬儀では使わなかったので、父が「互助会で家族葬でいい」と言っていたこともあり、家から近いのでベルコに電話をしました。

私、これから元気になる人も多い病棟で葬儀会社に電話してるけど、いいのかなこれ。

電話に出た営業さんにお寺・宗派、家の住所を伝え、お迎え時間を決めて、互助会のことも確認してくれるとのこと。母の透析の都合もあり、自動的に通夜と葬儀の日も決まります。
姉1が服を持って戻ってきたので、看護師さんが着替えをしてくれました。ダンナが到着したので、姉1を残し荷物を持って一度家へ。姉2が家の片付けを。認知症の母が昔ながらの葬儀の準備を指示し(座布団や湯飲み、ご飯の準備)姉2はキレそうだったとのこと。

私は家に戻り、喪服の準備。私が代表で連絡先を伝えているので、ダンナにもう一度病院へ送ってもらい、葬儀会社のお迎えを待ちました。

病院って霊安室でお線香あげてくれて、先生や看護師さんたちも来てくれるんですね。それだけでもまた泣きます。
父に向かって手を合わせた時、初めて父が此岸ではない彼岸に行ってしまった、手を合わせる対象になってしまったのだと泣きました。

寝台車に乗って実家に戻ると、母は不機嫌で姉はキレぎみ。母の世界の中では、常識的な葬儀の準備をしないダメな娘と、体が動かない自分にイラだっているのでしょう。
家の寝かせる部屋への動線が悪く、葬儀会社の方お二人が父を抱えて入ってくれました。
あー、やっとうちに帰れたねえ。

そしてここから葬儀プランのお話です。
遺影は?着るものは?祭壇は?お花は?棺は?骨壺は?人数は?食事は?お化粧は?エンバーミングは?
エンバーミングというのは保存処理と説明がありました。決して安くはないんですが、まだ暑かったこともありお願いしました。結果、やっていて良かったようです。
父が90近いこともあり、父方で付き合いのあった親戚がほとんど亡くなっていて、若い世代とは一切交流がありません。父が本当にお寺が好きで信心深かったこともあって、呼ぶ人数は少ないですが、お花や祭壇は普通レベルにしました。

義父の時は家族葬で、と言いながら田舎のことで隠せるわけがなく、ご近所さんとそこそこの親戚が集まっていました。遺影は先に自作、食事は助六、お供えは持参、という感じで切り詰めていたのですが、互助会割引もあり、義父の時と比べても同じ程度の金額になりました。

お寺には葬儀会社から電話してくれたのですが、すぐ父の名前が出たそうです。お盆の時に入院したこと、伝えてたからかな。

おそらく独身2.jpg

遺影は、7年前たまたま私が撮った両親の写真が揃ってとてもいい顔をしていたので、気に入ったのか印刷したものをしばらく実家に飾っていました。その写真を、一度家に喪服を取りに行った時にデータをUSBメモリに入れておいたものを持参。

着るものは普段よく着ていたもので。母は「ボキボキするからかわいそう」と言っていましたが、これは娘達の意思を通させてもらいました。ボキボキというのは、昔は硬直した人を着替えさせるのにボキボキ骨を折っていた、と母談。
ボキボキせず服の背中とか見えない所を切るのでは?と私が説得。
自分の夫のことなのに、何も口を出せないのがイライラするのでしょう。泣いたり怒ったりを繰り返していました。

棺は決め手に欠けて迷っていると、顔だけが見えるフタか上半身が見えるフタかで、見える方をおすすめされたのでその通りに。
そしてこれはサービスなんですけど、と営業さんが。写真を20枚程度準備したら、スライドショーにして流してくれるそうです。
そして暑かったのでクーラーを最低温度でかけ続けるよう、お寺さんへの挨拶の電話をするよう言われ、通夜と告別式の予定時間を決めて営業さんが帰られました。

私はクーラーの効いた部屋で寝ずの番をするため、防寒用の服を取りに帰りました。通夜の夜の番を姉1にお願いして、この日は私がやることに。寝ずの番は得意です。休みの日に小説を読んでいたら夜が明けていた、なんてこともあるので。

アルバムを引っ張りだし、スライドショー用の写真を探します。父の独身時代、結婚式、新婚旅行、そして時代が飛んで定年退職後の夫婦旅行の写真をたくさん。娘達が子供の頃の写真がアルバムごとないよー!まあ父がカメラマンになるので、元々少ないのはしょうが無いんですが。
台紙から剥がれないものもあったので、これは私がスマホで写真を撮ったものを加工しました。

そういえば「自分が死んだらこの写真を入れてくれ」と父にずっと言われていた写真があるのをここで思い出しました。
私が赤ちゃんの頃の写真です。これも台紙から剥がれなかったので、写真を撮りました。検索すると生きている人の写真はあまり良くないが、本人と周りの人が良ければかまわない、とありました。ダンナがかまわない、と言うのでこれは副葬品として印刷しておきました。

外が明るくなってから後を姉2に頼んで、仮眠のために帰りました。

続きます。
posted by 雫 at 22:36| 兵庫 ☁| Comment(4) | ネコと日常日記7 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント

本当に時間に追われて振り返る暇もないくらいなんですけど
お父さん めっちゃカッコいいっすね。
Posted by ピイ at 2020年10月07日 23:50
をわわわ怒涛ーデスねえ!!
誰もが100歳まで生きると信じてた祖父が90過ぎで亡くなったとき、主に采配ふるった兄怪獣がキレ散らかして怒鳴りたおされたのを思い出しました。
ああお葬式ってなんかそんなもんなんでしょうか。
Posted by pan☆fan at 2020年10月08日 19:55
ピイさん
車は他人のものらしいです。昔は社内にファンクラブがあったらしいですよ。
Posted by 雫 at 2020年10月08日 22:09
pan☆fanさん
うちのキレ原因はほぼ、母が何度も同じ事を聞くのと、認知症だからこその暴言と、耳が遠いので言い返すと、こちらが大声になって母もキレ返すというループですねえ。
Posted by 雫 at 2020年10月08日 22:14
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