2020年10月06日

父に関する記録

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親が亡くなった後って、することがいっぱいありますね。
先月父が亡くなりまして、これは記録しておいた方がいいのかもと思うので、読んでいただいても楽しくはない部分が多いですが、書こうと思います。

私は自他共に認めるファザコンで、手帳には父の若い頃の写真をしのばせているくらいのパパ大好き娘です。
父は姉達と年の離れた私が「一番一緒にいる時間が少ないから一番可愛がる」と姉に宣言するくらいに私を一番かわいがっていたと思います。

コロナ問題が深刻化した3月頃から、父が体調を悪くしていました。眠っていると過呼吸か発作かわからないけど、苦しくて飛び起きることが多くなりました。これは入院してから睡眠時無呼吸症候群だとわかりました。体力が落ちて苦しくなっていたようです。
そのうち味覚がおかしい、食事がまずいと言い出しました。コロナの症状と言えば味覚障害ですが、無味ではなく、まずく感じるようでした。医者でも原因はわからず、あまり食べられずに眠れない状況が続き、どんどん痩せて8月に家の中で転倒。

きっかけは転倒ですが、持病の心臓の状態が悪いということで、入院になりました。
ここで運が悪かったのは、味覚障害があるということでコロナのPCR検査結果が出るまで、隔離入院となったことです。これでせん妄や認知症のような症状が出て、目の見え方がおかしくなり、難しいことを考えられなくなりました。
春から続く味覚障害なのでコロナではないと主張しましたが、病院側も命がかかっていますし、これは仕方がなかったと思います。
しかしこれで、父が考えていただろう相続の話や、生活費の口座の暗証番号などが一切わからなくなったんです。母に認知症が出たため、家計の管理を父がすべてしていました。元銀行員で、年の割にはしっかりしていたので、あまり心配していなかったんです。

その後心臓の状態は持ち直しましたが、肝臓に影が複数あると聞かされました。検査はもうしませんでしたが、これは末期ということです。
歩行器で歩いたり、まずいと言いながら食事もできたり、最初はリハビリ向けの病院への転院も考えられていました。

近くのリハビリ病院を当たっていた時に知ったのですが、今、病院はどこもコロナでほぼ面会ができません。オンライン面会ができる、週1回15分程度ならOK、というところが一番マシでした。
しかしこれではボケが進んでしまいます。
(今はどんな終末の病院でも面会できないんですね。コロナでなくても、コロナのせいで家族に会えずに亡くなる人が他にもいっぱいいるのだろうと考えると辛い。)

リハビリの病院を決めかねていたのですが、その後急激に悪くなり、入院から1ヶ月で亡くなりました。
ちなみに兵庫医大病院は、一人なら面会ができました。最期の一週間はその制限もなくしてくれて、比較的長めの時間を父とすごすことができました。本当にありがたかったです。

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最初、病院にキーパーソンを決めるよう言われました。母は透析にも通い、膝が悪く、認知症の症状も出ています。
父に一番可愛がられていた私がなるべきだと思い、私がなりました。

キーパーソンは治療方針の確認の他、何かあれば連絡が私のところに来ます。これが結構きつかったです。携帯の着信音が怖くなりました。毎朝、着信が無かった、生きてる、と思いながら目を覚まします。
今、着信音はすべて変えました。
バイタル機器の脈拍音の幻聴が家でも聞こえるし、音のペース聞いただけで今1分間に脈拍がどれくらいか分かるんですよ。

父本人が「何かあっても何もしない」、という選択をしていたこともあり、何もしないということはかなり辛かったです。延命も考えないではなかったです。そんな悩みを親友にもらしたところ、「一番可愛がってた娘の選択をお父さんは否定しないよ」と返してくれて、病室だったので大声を出さないようにして、初めてわんわん泣きました。
そこで吹っ切れたように思います。後悔しないように動こうと。

元々少しでも不調を感じるとすぐ医者に行く人でしたが、コロナで初診受付ができない病院もあり、コロナでなければ、もっと早く違う検査をしていただろうかと思うこともあります。ただ体調不良でも、一番長く家にいられた選択だっただろうと思っています。

その頃同時に母も毎年することになっているカテーテル検査の入院がありました。こちらは面会無しです。
母が入院したら、いつもなら家族全員が仕事終わりに病院に集まっていました。数日ですがこちらも認知症が進むのではと心配しました。
延期も考えましたが、父が長くなることも考えて入院・検査に踏み切りました。
母も体力がないので面会は透析のない週3回、2時間程度になります。検査したことで、亡くなる前に会える時間が家族で一番少なくなったのは申し訳ない気持ちになりました。

病院から朝連絡があり、必死で走って、間に合いはしなかったけど、まだあったかかった。
面会がたくさんできたこと、先生も看護師さんたちも本当に快適であるようにお世話してくれたこと、たくさんお礼を言いました。

そしてこの次の瞬間から、もうしんみりしていられなくなるんですね。
続きます。
posted by 雫 at 21:24| 兵庫 ☀| Comment(5) | ネコと日常日記7 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント

読ませていただきました。
ご冥福をお祈りする以外何もできませんが,
続きも読ませていただきたいと思います。

自分の父のときのことを思い出しました。
Posted by ピイ at 2020年10月07日 11:51
Twitterの方で見かけまして訃報を知り、こちらに来ました。
この度はご愁傷様でした。そして看病からお看取りまで、本当にお疲れ様でした。
うちの両親は怪獣ですので雫さんのようにはとてもいかないのだろうとため息ものです。色々に思うこともあれ、今はただただ、どうぞお身体をいたわってゆっくりなさって下さいください。
Posted by pan☆fan at 2020年10月07日 12:54
すみません、『下さいください』になってしまいました。
ふざけたつもりはありません。m`(*_ _*)´m
Posted by pan☆fan at 2020年10月07日 12:56
ピイさん
ありがとうございます。
やることがいっぱいあってパニック気味ですが、忙しいことで忘れられるののはいいことなんだと実感しますね。
Posted by 雫 at 2020年10月07日 22:33
pan☆fanさん
ありがとうございます。
父は姉にとっては怪獣だったと思いますねえ。私は甘やかすんですが、姉が正論で厳しいことを言うので、ぶつかるんですよ。
母も耳が遠くなり、認知症で怪獣になりつつありますね。
Posted by 雫 at 2020年10月07日 22:36
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