
中華街から歩いてきました、氷川丸!今は日本郵船の持ち物。竣工昭和5年の貨客船。今は重要文化財です。氷川丸を初めて知ったのは高橋葉介のマンガでした。

舵。エンジン2基搭載。今は外されていますがプロペラも2つありました。

大きくて全体像がなかなか入らない。階段を上がって受付へ。大人300円。行ってみたらあと1時間しかない!オープンデッキがあと5分で終了!?と聞いて主な船室はムービー撮りながら慌てて通り過ぎました。そのムービーはというと、他のお客さんの顔が映ってるのでUPはしません。なので豪華な食堂などの写真がないです。

主な船室を通り過ぎてデッキへ。後でわかったのですがオープンデッキは船尾の方の広い場所でした。なぜかここは早めに閉めるようです。他のデッキは大丈夫だったのでデッキを見てまわります。

一つ高いところに上がります。この部分は煙突なの?

船長室に入ります。ベッドルームとバスルーム。へのドア

ベッドの位置がちょっと高い。

お風呂ってどんな頻度で入ってたんでしょう。

もう一つ上に上がると操舵室です。レーダー。ボタンを押すとちょっと本物っぽく光る。

操舵輪。

船でよく見るこういう窓、回転して遠心力で雨などの水を飛ばして向こうを見やすくするためのものなんですね。

浸水や火災がおきた時に被害を最小限にするため、いくつもの鉄の壁がありそれを遠隔操作するための装置。

船長室に声が伝わる伝声管。映画とかでよく見る。

モールス信号発信機。これを見せると父がイロハから言ってくれるんだけど、いまだに「ハ」しか覚えられない。「ハーモニカ」でツートトト。

無線室。展示にあたってここに配置していますが、本来は海図室だったとあります。
他にも国際信号旗の表とその旗の収納場所や、汽笛を鳴らす装置などがあって楽しかったです。

下へ降りていくと機関室。当時最新鋭だったエンジンがそのままあるそうです。

下のフロアの案内。

三等客室は二段ベッドなのね。

ギャレーだった場所で氷川丸の歴史の展示。戦時中は病院船、終わると引揚船として運用。海外では「ハイカワ」と呼ばれていた。1950年代はシアトル航路の定期船で、神戸に帰着していました。それを話すと母が「そうそう」と懐かしそう。ちょうど母が三宮で仕事していた時代か。
運行が終了した時に神戸に設置する話もあったけど、大量の天下り役人とセットになっていたから神戸は蹴った、と父の話。

現在は日本郵船氷川丸となっています。日本郵船の歴史博物館もあります。もうちょっと中をゆっくり見たかったかな(^^;
父は日本丸は好きだったけど、氷川丸はそんなに印象に残っていないようです。日本丸が神戸生まれだからかな。日本丸もみなとみらいに展示・公開されています。
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