以前「細雪」とマンボウの記事を書きましたが、今回は一本松です。「細雪
姉妹の家のお手伝いさんであるお春どんが、マンボウから出てきた啓坊(こいさんの元許婚)にばったり出会います。啓坊はマンボウの向こうの一本松の近くに住んでいると言います。
武庫郡と菟原(うはら)郡の郡界伝説の碑。「うはら」という古い地名は、東灘区民センター「うはらホール」のみに名残を残しています。武庫郡は役場跡の石碑が東口商店街の勤労会館・サンアビリティーズにしのみやの場所にあります。
一本松地蔵尊。
大阪城の築城のために石を送ったけれど、そのまま西宮に残ってしまった石がたくさんありますが、これもその一つ。上の分銅の印は石を送った大名のもの。その石は溝にかけられた石橋になり、その刻印から分銅橋と呼ばれました。常磐町の北の分銅町の由来です。その橋は不要となり、石碑となりました。
常磐町と平松町の間の道を歩いて常磐町側を見ていると、道の真ん中にせり出した松の木があるのが分かります。
ちなみにお春どんは痔の手術で入院していた父親に付き添うため「恵比須神社の近くにある肛門病院」に札場筋までバスで通っていました。
多分ここがモデル?肛門病院ってそうそうないですよね。私の祖母の最期をここで看取っていただきました。よく通いました。春、ここの桜の木は本当に見事なんです。
参考文献:「町名の話」山下忠男著
参考話:うちの父(笑)。
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小学生の頃、友達との待ち合わせ場所は決まってココでした。
こんな由来があったなんて知らなかったです。出身地なのに…なんとも情けない話なんですが、西宮を離れてその良さが解ってきました。
私も調べるまで知らなかったことが多いです。記事を書いてから親に聞いたら、もっと面白いことを知っていたり。
一本松を迂回するような形の道なのに、ここを通る人や車が多いのにびっくりしました。由来はわからなくても、地元にそこにあるべきものとして根付いている感じがしました。