2006年01月06日

法隆寺西里と藤ノ木古墳 その2

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西里は縄文時代の遺跡や古墳などがあり、築地塀と大和棟の続く古い町並を残した集落です。法隆寺の宮大工らの住む地区でしたが、現在宮大工はいません。
大阪夏の陣では大はしご等で城攻めに加わったため、豊臣氏に里を焼かれた歴史もあります。

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法隆寺の門前の東西の道は、在原業平が櫟本から河内の高安の河内姫のもとへ通った道とされています。
姫がしゃもじでご飯を食らっているのを見てしまい、業平が逃げ出すと姫が追いかけてくる。業平は井戸のかたわらの木に登り隠れていたが、姫は井戸に映る業平をみつけ井戸に飛び込んでしまう……。

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昨日の記事、藤ノ木古墳から西里の町並を通って法隆寺へ。築地塀が続きます。

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ダンナの言うことには、奈良は慢性的に水不足で小さな溝にもこうした水門があって水をためられるようになっているそうです。

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10センチくらいの細い側溝でも深さがあってびっくりしました。1メートル以上あるかな。
さらに続きはまた後日。

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posted by 雫 at 22:33| 兵庫 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 京阪神語り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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