2006年08月19日

甲山大師 神呪寺(かんのうじ)その2

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甲山大師 神呪寺(かんのうじ)

西宮市甲山町25-1 寺務所9:00〜16:30
無料駐車場80台・阪神バス鷲林寺循環線甲山大師前下車

その1の続きです。甲山は山頂から弥生時代に埋められた銅戈(宗教性の高い銅製の武器)が発見されていることから、山の神性が信じられていました。

そんなことから、「神呪寺」の名前の由来は案外単純で「神(カン)の寺」ではないかと言われています。他にこの辺りに勢力を持っていた古代豪族、甘尾(かんのお)氏から、あるいは神の山の裾(尾)にある「神尾(かんのお)」寺、などの説があります。(山下忠男著「町名の話」より引用)

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厄除けの錫杖。下をくぐります。

その1で書いたように頼朝により大きく発展した神呪寺ですが、戦国時代末に、伊丹城主荒木村重が織田信長に反逆した折その支配地にあった神呪寺・鷲林寺も焼き討ちにあいました。その上豊臣秀吉には寺領を没収され、麓の小さな仮堂に移りました。それが現在の「神呪町」、「神呪字中谷」です。

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こちらの仁王門は西宮市指定重要有形文化財です。
車やバスが通る大きな道路の下にあるために目立ちませんが、目神山の方から登ってくるとまず目に入るのはこの山門です。

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両脇の西を守る広目天と南を守る増長天。

廃絶寸前にまで陥っていた神呪寺を救ったのは徳川綱吉の母、桂昌院です。息子に「生類憐れみの令」を出させるほど深く仏教に帰依しており、桂昌院が寄せた金子により再建されました。その後はスポンサーも付き、元の場所(現在の上ヶ原浄水場付近)に戻り、そして現在地に移りました。

よく来ていたお寺にこんな波乱万丈な出来事があったとは、調べるまで知りませんでした。

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門の前にはもう閉めたお店がありました。昔は山を登ってきた参拝客がここで一休みをしていたのでしょう。今は自動販売機だけがあって、長い日よけのひさしがありがたかったです。
お家の人が、おねだりに来たにゃんこにご飯をあげていました。

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posted by 雫 at 21:33| 兵庫 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 西宮おすすめ観光スポット | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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