この石碑は市役所の一角にあります。市役所のある六湛寺町という町名は、六湛寺という大きなお寺があった名残です。隣の和上町の由来は、六湛寺の和上さんの田んぼの土地だったことからです。
六湛寺は越水城主の瓦林正頼が、文武に秀で信頼していた小姓の松若丸を、その父が自分に敵に内通した疑いで泣いて斬った刑場でもあります。
2号線沿いにある茂松禅寺は六湛寺の塔頭(たっちゅう)の一つでした。六湛寺は衰退し明治に廃寺となりましたが、その塔頭だけが残されたものです。
明治から大正にかけて、海清寺の大楠との間は町営の墓地でした(後に満池谷に移転)。薄暗い大楠のもと墓標や卒塔婆が立ち並び、子供たちの格好の肝試しの場所だったようです。
海清寺は雲水が修行の足を止め、全国にも名を知られる名刹です。開祖、無因宗因は一休宗純(一休さん)の先輩なのだそうです。海清寺の大楠は樹齢推定600年。この樹は数々の歴史の証人ですね。兵庫県指定の天然記念物です。西宮市の木はクスノキとなりました。
参考文献:「町名の話」 山下忠男著 西宮商工会議所発行
(なぜかこういう本が実家にたくさんあります)
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